障害者支援施設
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清瀬喜望園診療所長が交代しました

ご挨拶
白井徳満(しらいとくみつ)

 四月から鈴木雄次郎先生の後任として、診療所に参りました白井と申します。
 生まれは北海道の遠軽(えんがる)という、オホーツク海とサロマ湖に近い小さな町です。
 子供のころは、近くの山で遊び,川で釣りに夢中になっていました。
ところが、学生時代に思いがけずリュウマチを患って寒い所に住めなくなり、やむをえず南方移動することになりました。
 願いは、温かく阿波踊りもある祖父の出身地である四国だったのですが、家族から「四国じゃ、あんまり遠すぎるよ」と言われ、その半分の遠さの東京に住むことになりました。
 専門は小児の医療で、長い間、新生児を育てる仕事をしてきました。生まれて終日眠り続けていた赤ちゃんが、やがて次第に、笑い、訴え、語りはじめるのを見るのは、驚くような素晴らしい経験でした。
 多くの新生児を見ているうちに、新生児は生まれるにあたって天から3つの贈りものをもらってくることに気づきました。
 一つは、生き延びるのに必要な身体の能力、次に、人を信じる能力、そして、人から愛される能力です。
 リュウマチのため、20代以後はほとんどすべてのスポーツができなかったのですが、その中で、私にできた二つのスポーツが水泳とスキーでした。
 ゆっくり泳ぐ水泳は、リュウマチのリハビリになっていました。スキーは、今ではリフトが完備しているので、歩けさえすればスキーを楽しむことができ、最近まで、年に一度、蔵王に行っていました。
 清瀬喜望園で皆様と一緒に働くことができますことを、うれしく思っています。どうぞよろしくお願い申し上げます。 白井先生


清瀬喜望園の思い出
鈴木雄次郎

 二〇二〇年の三月末に清瀬喜望園を退職しました。
 一九九五年に就職しましたので二十四年余りの勤務になりました。その間、利用者の皆さん、職員の皆さんのおかげで毎日楽しく過ごすことができました。ありがたいことです。 ここで思い出話を二つ三つ。
 まず、肺結核後遺症の人の呼吸障害というものを判りたいとおもいました。利用者に動脈血酸素飽和度計をつけてもらって、一緒に歩きました。すると、飽和度が下がるのです。元に戻るのに二〜三分と時間がかかるのでした。「肺が酸素を取り込めないのだ」と実感しました。酸素は大切なのもわかりました。
 当時、利用者の一泊のバス旅行があり、バスの後ろを酸素ボンベの車がついていったものでした。職員の旅行もあり、楽しい思い出です。
 利用者の自治会、利用者と職員の「喜望園楽しむ会」などもあり、秋には「喜望園まつり」、「優勝力士あてクイズ」など催し物は多彩でした。
 ある年末の年忘れ会では、元宝塚の方が「黒田節」を車椅子で踊り、見事でした。一種の文化圏であったと言えるでしょう。
 終わりに、利用者、職員の皆さんのご健康をお祈り申し上げます。
 ありがとうございました。